店主 ごあいさつ(22)
まいど~ 村石商店です~
ということで、師走も師走。12月の27日。またも後がありません。
ジジイとしてはここまで押し詰ったら、12月のごあいさつは飛ばしまして、
新年まで待って、元日に「あけましておめでとうございます」と、思ったのですが、
息子がそれではダメ! と。
月一回と決めているので飛ばしてはダメ!! と。
元日に無理して「ごあいさつ」しなくてもいいから、ジジイのペースで行け!!! と。
ジジイより人間が出来ている感じがします。ハハハ
ということで、話は変わりまして、
息子が生の演劇を観た~いと言うので、
「行こ~か~!」というと「ピグマリオン」が観た~いと。
ピグマリオン? 豚のマリオン?? マリオンって~??? 星座????
何でも「マイ・フェア・レディ」の原作らしい。
石原さとみと小堺一機が出るらしい。
息子が観たいと言い出したのは9月、公演は11月。
じつは、「ピグマリオン」どころか「マイ・フェア・レディ」も良く知りません。
もちろん「マイ・フェア・レディ」の名前は知っていますが、
我家では、どんな物語か誰も知りません。
息子だけはネットで調べて、すこしは分かっているようでしたが・・・
TSUTAYAで「マイ・フェア・レディ」のDVD借りて来るか~!! とジジイ。
なんと観劇2日前、家族3人で観ました。予習です。
オードリ―・ヘップバーンのイライザ。
他は、ヒギンズ教授もピッカリング大佐もイライザの父親の俳優の名前も分かりませんが
やはり名画です。面白い。
イライザの父親が「運が良けりゃ~!」と歌っているのを見て、
これは小堺一機が歌うぞ~! と息子と顔を見合わせて納得、予習も完璧!!
ん? そういえば大昔
八波むと志というコメディアンが「運が良けりゃ~!」と
陽気に歌っていて、運悪く交通事故で亡くなってしまった。
とジジイの父親が言っていたのを思い出しました。
あれが「マイ・フェア・レディ」だったのか~!! ジジイが12歳の頃です。
ジジイもよくは知りませんので、ちょいと調べてみました。
1963年9月1日~9月29日「マイ・フェア・レディ」初演。
主演のイライザは江利チエミ、ヒギンズ教授は高島忠夫、ピッカリング大佐は益田喜頓、
イライザの父親ドゥーリトルが八波むと志。
この年の「紅白歌合戦」に紅組の司会をした江利チエミは自分の出番で「踊り明かそう」を
歌ったのですが、なんと、その時の映像をネットで見る事ができます。
1963年12月31日「第14回紅白歌合戦」
じつにはつらつと歌っておりました。
1964年1月2日~2月5日 「マイ・フェア・レディ」再演。
そして1月4日に八波むと志は交通事故を起こし9日に亡くなったそうです。享年37歳。
公演三日目から代役を務めた小鹿敦は、八波むと志の動きをそのままそっくりに演じて
喝采を浴びた、とあります。
八波むと志、知りませんか?
1956年、由利徹と南利明と3人で脱線トリオを結成して浅草を中心にテレビ・ラジオ等で
大活躍していたそうです。おおむかし~~~~!
エ~~ 話を戻しまして
ちょうど1ヶ月前の11月27日、 新国立劇場で上演中の「ピグマリオン」を
カミさんと息子の3人で観てきました~!!
で! 小堺一機は「運が良けりゃ~!」を・・・・・歌いませんでした!
というよりも誰も歌いません!!
そうです! 「マイ・フェア・レディ」ではなく「ピグマリオン」だったのです。
ピグマリオンは戯曲でミュージカルではありませんでした。ハハハ
でも大変面白かった。生の舞台はいいですね~!
因みに原作者のバーナード・ショーはミュージカル化に反対だったため、彼の存命であった
1950年まではミュージカルとして上演できなかったようで、ブロードウェイ初演は
1956年3月、イライザはジュリー・アンドリュース。
今年も日生劇場で「マイ・フェア・レディ」が上演されたようです。
今度は「マイ・フェア・レディ」を観に行こうかな~~っと!!
それでは、「良いお年をお迎えくださ~い」
そして新年を迎えてからご来店下さった方には
「あけましておめでとうございます。ことしもよろしくお願い致します」
次回のパールブーケ・ミニ・コンサートは新年早々、1月17日(金)です。
2013年12月27日 店主